近年はだいぶLGBTへの理解が進んできたように思える。
しかし、『親へのカミングアウトの私見』でも書いたが、自分が深く関わる人間関係でなければ、所詮は“対岸の火事”である。
この世に生まれた日から、生まれ持った性別が送るんであろう、“普通”の人生を期待され、“普通”の基準の行動を求められる。
そんな“普通”になれなかったレズビアンの場合は『女性への差別』と『セクシュアルマイノリティへの差別』の2つに囚われることになる。
そして、“地味な”レズビアンにはもっと別の苦しみが与えられる。
社会が無言で求める“普通の人”が歩む大体の人生設計は存在するのに、レズビアンはその人生の殆どが謎だ。
我々はどこから来て、どこに向かうのだろう。
レズビアンカップルは最後まで一緒にお婆さんになって、一緒の老人ホームに入れてるのか?
我々は、“いる”のだ。
社会が、法律が、隣人が、親が、我々を理解しようともしなかろうとも、我々はここに“いる”。
レズビアンだと自覚してからどんな苦しみがあるのか、今回から数回に分けて語っていきたい。
【レズビアンはつらいよシリーズ】
・レズビアンの自己肯定感の低さ【レズビアンはつらいよ*1】
・女性がおひとり様であるということ【レズビアンはつらいよ*2】
・会社での立ち回り方【レズビアンはつらいよ*3】
・私、レズビアンなの。【レズビアンはつらいよ*4】
・地味レズビアンの苦悩【レズビアンはつらいよ*5】