静かに息をする地味なレズビアンたちへ

本サイトは、居場所のない思いをしていたり、偏った情報から苦しい思いをしている…そんな、ひっそりと静かに生きている地味なレズビアンに情報や“あるあるネタ”をお届けする場所です。

堂々とカミングアウトなんてしなくて良いんです。
レズビアンだからと言って、無理してまで彼女を作らなくても良いんです。

“本当に愛する人と最期まで手を繋いでいられた”
“一人だったけど、ああ、良い人生だった”

そうやって空に旅立つ日まで、“自分は独りじゃなかった”と思えるようにこの場所をつくりました。

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恋愛ってしなきゃダメ?

恋愛ってしなきゃダメ?

LGBTに限らずどのセクシュアリティでも、“恋愛”は、人生の中で“しなくてはならない”イベントか何かなのだろうか?

この世は愛で侵略されている

この世は愛で満たされている。否、愛で侵略されている。

流行するJ-POPは全て愛の歌。ふらりと立ち寄った本屋で愛の歌がBGMとして流れてる。女々しい男が叶わぬ恋を嘆いている曲だ。

民間から始まり市町村主催でも開催するようになった、お見合いイベント。

20代後半も過ぎると続々と届く、友人の結婚報告とその結婚式の招待状。運命の人と出会って燃えるような恋を経て結ばれた2人のノロケ話を聞くために、ご祝儀の3万円が飛んでいく。

あまり恋愛をする気にならず「失恋したばかりなんだ」と言うと、「じゃ、次にいかないとね!紹介するよ」と当たり前のように返ってくる返事。

「一人身の老後は寂しい」「結婚できなかった女性の末路!」「孤独死は他人に迷惑をかけることになる!」と脅すような言葉を並べるお昼過ぎのワイドショー。

うるさいうるさいうるさい。少し黙っていてくれないか。

いつの時代から、“愛”は強制されるものになったというのだ。

この世は愛で埋められていて窒息しそうだが、それでも愛こそが正しいらしい。

地味なレズビアンたちよ、無駄な婚活をやめよ

レズビアンが「このままじゃいけない!」「なんとかしなくちゃ!」と思い、街コンや合コン、オフ会に参加して、ただただ無駄でみじめな時間を過ごしたという話を聞いたこともある。

私見を述べてしまうと、恋愛なんぞしなくても全く問題ない。

ましてや、自らのセクシュアリティを偽ってまで男に貴女の人生を捧げなくても良い。

お金も時間も体力も消費したとしても一緒にいたい誰かとの恋愛なら大変素晴らしいことであるが、世間の言う“愛”は個人の都合なんてお構いなしに押し付けてくるものである。

もっと言えば、“一人でいたくないから恋愛をする”という、限りなく貴女のエゴに近い理由で見つけた相手と、この先何十年間も一緒にいたところで貴女の人生は満足なのだろうか?

「孤独死がこわいから」

「老後が心配だから」

「自分の死後、墓の管理が心配で」

言い出せば未来は不安しか出てこない。そりゃそうだろう、未来に起こることなんて誰にも分からないのだから。

分からないことへの対策をするのも結構だが、貴女の描く“不安”がそのまま現実になるとは限らない。

また、多くの場合、男性よりも女性の方が長生きをする傾向にある。夫婦一緒の全く同じタイミングであの世にいくという奇跡を起こさない限り、二分の一の確立かそれ以上の確立で貴女の最期はおひとり様だ。

(参照)総務省統計局 男女別人口

それとも、子どもを産めば老後は安泰だとお思いか?

貴女は『京都伏見介護殺人事件』をご存知ではないのだろうか?

詳細は参照URL先を読んでいただきたい。

(参照)Wikipedia 京都伏見介護殺人事件

貴女が産む子どもたちにも、生まれてきた日から彼らの人生を歩む権利がある。幸せになる権利がある。それを上記の事件のように貴女が認知症になったというのならともかく、貴女のエゴで貴女が死ぬまで縛り付けて、子どもの人生を生きさせないのは間違っている。

言い換えれば“子どもなんてアテにならない”ということだ。

どうあがいても、貴女のみならず誰もが最期は一人で三途の川を渡っていく。去り行く時は、誰だって一人だ。

恋愛ができることってそんなにエライの?

「なんとなく、恋愛感情が盛り上がらない」

「年齢=彼女いない歴」

「誰かを好きになるのにすごい時間がかかる」

「恋愛自体、あまり興味がない」

アセクシュアル(他者に対して性的欲求・恋愛感情を抱かないセクシュアリティのこと)の方はおそらく「恋愛ってしなきゃダメ?」と何度もお思いのことだろう。

そもそも、恋愛ができることはそんなに重要なことなのだろうか。

恋愛ができる人と、できない人との明確な違いは何だろうか。恋愛ができる人が人として優れているとでもいうのだろうか。

恋愛とはなにか。

男女間であれば、恋愛は子孫を残すためのツールの一つのようにも思える。

では、我々地味なレズビアンにとって、“恋愛”とはなんなのだろう。

「2人だからこそ体験できる感情がある」「一緒にいると楽しい」「一緒にいるとお互い切磋琢磨できる」など、色々な答えがあると思う。

しかし、もし、その答えが「寂しいから」「一人が怖いから」というようなネガティブなものであったとしたら、それは恋愛ではなく“依存”に近い関係である。

恋愛とは何か、という問いに答えを出せないでいるが、これだけは言える。

恋愛が出来ないことは人として劣っているということではない。

そして、恋人という関係性だけが特別エライという訳でもない。

おひとり様ですか?

地味なレズビアンの皆様、よく聞いていただきたい。


「おひとり様でも、この世は生きられる」

女性の社会進出や女性上司の良し悪し云々の問題ではなく、LGBTその他どのセクシュアリティでも、おひとり様でもこの世は生きていける。

金銭面が不安なのであれば、生活保護という手もある。またその他、(市町村にもよるが)貸付の制度も設けられている。気になるのであれば、「〇〇(お住まいの市町村名)市 困窮 制度」で検索してみよう。

また、孤独が不安なのであれば自治会の運営に携わろう。嫌と言う程の人間関係に関われる。それでだめなら、公民館のサークル活動、カルチャースクールというテもある。

まとめ

以上の要点をまとめると以下のとおりになる。

・恋愛などしなくても全く問題ない。

・自らのセクシュアリティを偽ってまで社会でいう“普通”の生活を手に入れる必要はない。

・思い描く“不安”がそのまま現実になるとは限らない。

・子どもなんてアテにならない

・恋愛が出来ないことは人として劣っているということではない。

・恋人という関係性だけが特別という訳でもない。

・おひとり様でも、この世は生きられる

おひとり様は何も恥ずかしいことではない。

ただ、社会との繋がりが切れやすいというマイナス面もあるので、そこだけは気を付けないといけない部分である。

地味なレズビアンのための老後や暮らし方、おひとり様の生き方については、続けてまとめていく予定である。



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