都会人である貴女が想像する“田舎”とはどんなところだろう?
「だだっ広くて、空気が綺麗で、ご近所のおばちゃんが野菜のおすそ分けを毎日のように持ってきてくれて、ウチのお婆ちゃんと長話して帰っていくの。交通の便は悪いけど、人の温かさがあるところ!」
とでも言うだろうか?
残念だがこれから私は、貴女の持つ“田舎”のイメージ像を粉々に打ち砕くので覚悟してほしい。
ネットを使わない田舎の拡散力をナメるな
・監視カメラのない監視社会
田舎町には監視カメラなどある訳がない。しかし、住民はその地域にヨソ者が来ると、乗ってきた車を見て一発で
「怪しい車」「何をしにきたんだか」
と、近所にふれて回る。
また、「〇〇さん家の娘さんはいつも遊びまわってて…ほら、もう出かけてて車がないよ」
と何故か他人の生活スタイルや家族構成等を把握している。
毎日が同じサイクルの繰り返しに飽きた彼らが求めているのは、話のネタだ。
ちょっとでも“普通の家”ではない部分があると、それだけをクローズアップして話題のネタにする。
「あそこの家は片親だから、息子の素行が悪いんだ」
「あそこの家の三男坊が障害があるのは、嫁さんのせいだ」
話題のネタに何の生産性も感じられないが、ただただ話のネタが欲しいのだ。
彼らに目を付けられないようにするには、2つの重要なポイントを押さえておくことである。
・彼らの思い描く“普通”を体裁だけでも整えておくこと。
・「〇〇(地域の有力者が好ましい)さんの娘」という血筋をはっきり述べること。
この2つだけだ。
・ネットよりも早い拡散力
『人の口に戸は立てられぬ』
その言葉通り、噂話の伝わる速さはインターネットが普及した現在において、より早くなったことだろう。
しかし、田舎のコミュニティにネット回線など全く不要だ。
一番最初に述べてもらった田舎の印象の一つである、
「ご近所のおばちゃんが野菜のおすそ分けを毎日のように持ってきてくれて~」の部分に理由がある。
おすそ分けを持ってくるのは、ただただ隣の家に世間話をしに行くための口実。または「私たち、味方同士だよね?」というちょっと前に友達同士で流行った“ケータイのワン切り”のような友情確認の道具である。
「くだらないことをくっちゃべってて…」と女たちの話題には無関心でいるようで、実は聞いている地獄耳の家族。そして広まる噂話。
こうして地域に妙な連帯感が生まれ、地域コミュニティを運営していく。
・新しい常識が適応されるのは十年くらい後
数年前に亡くなった私の祖母は、宇都宮から西を『東京』と言っていた。茨城から栃木に嫁いだ祖母は、その人生の最後まで宇都宮から西に行くことなく亡くなった。
でもこれは、祖母に限った話ではない。
ファッション一つとっても、都会の流行りを知らないからか何となくダサい。
彼らの“常識”はいつだって十年単位で遅れている。
老人たちが死に絶えて若い世代が家を継ぐ時に、その時の若者が持っている常識にバージョンアップされる。そして、その常識は死ぬまでバージョンアップされることはない。
ちなみに、私の母の持つセクシュアルマイノリティへの知識は以下のとおりである。
・セクシュアルマイノリティは幼少期に性的な虐待を受けた者がなるモノなので、自分の娘には“発症”しないはずだ。
・「(オカマキャラの芸能人をテレビで見て)この人たちは頭がおかしい」と断言してしまう。
一体どこからツっこんだらいいのか分からないが、とにかく上記のとおりである。
いや、そもそもセクシュアルマイノリティ云々以前の問題のままストップしていることも多い。
女性は20代で嫁に行くもの。結婚できない女性は何かの病気。男性は台所に入らないもの。食事は家長が最初に手を付けるもの…など。
以上を「極端な例だ!」とお思いかもしれないが、これは事実だ。
まとめ
…さて。想像してもらいたい。
上記で説明した田舎に、地味なレズビアンの貴女は入っていけるだろうか?
そして、今この瞬間も実家のある田舎で暮らす若きレズビアンよ、辛くはないか?息苦しくはないか?
周囲の理解など得られるとは思えない。なんとなく友人も信用できなくて、居場所もない。お金がないから、独立もできない。
人は生まれる場所を選べない。
けれど、世界は広い。また、選択肢があるはずだ。
諦めてはいけない。
(続き)周囲も貴女も変わらない【地方で生きるレズビアン*2】